西橋洞・東橋洞

平日休日を問わず、若い人たちがたくさん集まりにぎわう弘大(ホンデ)エリア。芸術系大学として知られる弘益(ホンイッ)大学を中心としたエリアで、おしゃれなレストランやカフェが多く、路上ライブやフリーマーケットも行われ大変自由な雰囲気です。クラブも多く、江南(カンナム)エリアと並ぶナイトスポットとしても知られています。

そのエネルギーと活気に満ちた街の雰囲気は、絶えず刺激的。国内外問わず多くの人々が訪れます。弘大エリアは行政区域的に見ると西橋洞(ソギョドン)、東橋洞(トンギョドン)一帯を指しますが、ここ数年弘大エリアは広がりつつあり、商圏としては近隣の上水洞(サンスドン)や延南洞(ヨンナムドン)、望遠洞(マンウォンドン)、城山洞(ソンサンドン)も含まれるようになってきています。今回ご紹介するのは弘大エリア、歴史散歩的にアプローチしてみたいと思います。

 

唐人里線

西橋洞・東橋洞はその昔延禧洞(ヨニドン)(現在の弘大エリア北)から流れ込む小川があちこちにあり、そこに小さな橋がたくさんあったので一帯はチャンダリマウル(韓国語で小さな橋のある村)、漢字化して細橋里(セギョリ)と呼ばれるようになりました。細橋里の西側が西細橋里、東側が東細橋里となり、1936年に西橋町、東橋町と改称されました。何度かの洞名および行政管轄区域の変更を経ているものの、これが現在の洞名の由来です。1929年に物資輸送のため龍山線西江(ソガン)駅と唐人里(タンインニ)火力発電所(現ソウル火力発電所)を結ぶ唐人里線が開通。1982年に廃線となりましたが、1970年代後半から線路沿いの一部に無許可の小さな家が立ち、大衆向けの飲食店が立ち並ぶ通りになりました。2002年のワールドカップ開催に合わせて美観を損ねるという理由から店舗が撤去され、1990年代に駐車場になりました。

現在の駐車場通りです。道のカーブ具合や、店の並び方から線路の名残を感じることができます。駐車場通りの、ショップがつながったように見える建築群は住所から『西橋365』と呼ばれ、2000年代に注目を集めるようになりました。たくさんのお店が立ち並ぶ『歩きたい通り』も唐人里線の跡です。



放送所前駅の痕跡

今から約80年前に発行された『京電ハイキングコース(1937年、京城電気株式会社)』というガイドブックの第四章の序文には、『唐人里方面をハイキングコースに選ぶ理由は発電所や放送所など近代的の施設があるばかりでなく、付近の史蹟と漢江の風光とを兼備した上に交通機関が完備してゐて汽車・舟・自動車も目的地迄通ひ・・・』とあります。

のどかな風景が広がり、かつ交通の便もよい郊外だったことがわかります。放送所は1933年に開業した京城放送局(現在の貞洞(ジョンドン)に位置)の延禧送信所のことで、発電所からの電気供給のスムーズな上、1932年に放送所前駅も開業して職員らの行き来もしやすかったと思われます。放送所前駅のプラットフォームだったと思われる痕跡が、今も駐車場通りに残っています。訪れる度に薄くなっているので、興味のある方(?)はぜひ探して見てください。



京城放送局延禧送信所(1933年) ※KBS放送博物館サイトよりキャプチャー


 

放送所前駅開業と共に人が集まり市場が自然発生しましたが、1974年に西橋在来市場がオープン、1989年に西橋プラザというビルの中に入りました。このビルの中の在来市場は、弘大エリアの中心街にこんなところがと驚くのに十分な雰囲気。多い時は169店舗だったのが弘大エリアの商業化によって、2010年には44店舗にまで激減。現在は少々街の雰囲気に合わせてちょっとした若返りを狙ったようです。少し時が止まったような場所をのぞいてみるのもいいかもしれません。

 



1955年に弘益大学が龍山エリアから臥牛山(ワウサン)の麓に移転、周辺に入試準備のための美術予備校が自然発生し、また在学生が街のあちこちに作業室を作って活動、そこからアートな雰囲気漂う弘大エリアならではの独特な文化が形成されるに至りました。1984年に地下鉄2号線弘大入口(ホンデイック)駅開業すると、弘大エリアは急速に発展していきました。ちなみに1983年に駅名は東橋駅に決定されましたが、大学側の希望もあり変更になりました。ただし変更の経緯は正確にはわかっていません。現在、弘大入口(ホンデイック)駅は地下鉄2号線・空港鉄道・京義線が乗り入れています。資料(2016年3月ソウル市調べ、交通カード利用者で地下鉄に限る)によると、駅利用客数は年間5111万名、1日あたり約15万2千名とソウル市内で5番目に多いそうです。他の鉄道の利用者数を合わせれば、かなりの人たちの乗り降りがあるのでしょう。

 

消える西橋洞イェーシッタウン

地下鉄2・6号線合井と弘大入口の間に『西橋洞イェーシッタウン』というバス停があります。かつてありましたと言っていいかもしれません(2018年9月に確認)。『尹氏(ユンシ)ノンバン』が1970年中盤にオープンし、婚礼関係のお店が弘大エリアに増えていったのですが資料によればオーナーは弘大を大きくしたある教授の娘にあたる方だとか。1980年代からイェーシッチャン(ウェディングホール、礼式場)が多く出現したものの、次々とシティホテルが建てられたり、ボーリング場などになっています。

 

つい数年前まで韓服のお店を何軒が見かけましたが、久しぶりに見に行くとすっかりなくなっていました。バス停名も『西橋洞』になっており、路線ごとのバス停案内図にイェーシッチャンの単語が残っているのみです。このタウンの形成は、弘大エリアにほど近い阿峴(アヒョン)の家具通りやウェディングドレス通りと関係があるのかもしれませんが、今はもう名残をとどめるお店がほとんどありません。



ジェントリフィケーションと弘大エリアの拡張

1990年代後半から2000年初頭、弘大エリアは学生の懐に優しい食堂や居酒屋、個性的なショップ、インディー音楽バンドの出演するクラブ、外国人向けの(踊れる)クラブが混在し、自由と若いエネルギーにあふれた場所でした。記憶をたどれば、当時もどこにでもあるようなファーストフード店やファミリーレストラン(個人的には弘大というとピザハットです)が多く存在していたように思いますが、現在はジェントリフィケーション(再開発や新産業の発展などで地域の経済・社会・住民の構成が変化する現象)のスピードがあまりにも早いことが問題になっています。フランチャイズ店や大手企業・財閥企業の店が商圏を形成し、小規模のお店は家賃や保証金の値上がりに耐えられず、廃業もしくは移転を余儀なくされ、街にはチェーンのカフェやレストラン、コスメショップ、ファーストフード店があふれています。

インディ映画『パーティー51(2013年)』は、インディミュージシャンと小規模店舗オーナーの苦悩をユーモラスに描き、弘大エリアのジェントリフィケーションに疑問を投げかけています。2008年くらいから合井(ハプチョン)、上水(サンス)エリアが、2013年あたりから延南洞、そして2017年あたりに望遠エリアが大ブレイクし多くの人たちが訪れるようになっていますが、弘大エリアの没個性化と空洞化、および商圏の拡張をそこに見ることができます。

 

■おすすめのスポット

近代デザイン博物館

2008年にオープンした近代デザイン博物館は、館長が収集した約2万点の韓国国内のデザイン資料を所蔵しており、その一部である約1600点を設展で見ることができます。日用品からおもちゃまで年代順、7つのパートに分けて展示されています。特別展示も不定期で行われていますが、頻度は低めです。博物館は弘大の裏手、臥牛山にある公園入口近くに位置しているので、ついでに緑豊かな公園を散策するのもいいかもしれません。

 

雨乃日珈琲店
2010年にオープンした日本人ご夫婦が切り盛りするカフェ。弘大エリアの喧騒から離れた比較的静かな、サヌリム小劇場のある通りに位置しています。いろいろな国の雑貨(不定期で内容は変わります)や韓国・日本のインディー音楽のCD、冊子などの販売もあり。手作りのスイーツも人気です。オーナー夫婦とのおしゃべりを楽しみに通う人も多いそうです。

 

京義線の線路跡を公園化した「京義線スッキル」や、ワールドカップ開催や空港鉄道開通に伴う外国人増加とクラブ文化およびゲストハウスブームの関係、インディ文化の変遷や住宅事情、カフェをはじめとしたさまざまな飲食店の盛衰など書くべきことはたくさんあるものの、今回はここまでにしたいと思います。常にエネルギーに満ちている弘大エリアが、今後どのように変化していくのか、興味のつきない場所です。新陳代謝の最も激しいなエリアのひとつなので、お気に入りのお店があれば短期集中的に通われることをおすすめします(?!)

 

<お店情報>

■近代デザイン博物館(근대디자인박물관
住所:ソウル特別市 麻浦区 倉前洞 6-32
서울특별시 마포구 창전동 6-32
電話番号:070-7010-4346
■雨乃日珈琲店(아메노히커피점)
ソウル市 麻浦区東橋洞 184-12
서울특별시 마포구 동교동 184-12
電話番号:070-4202-5347