大田・京釜線増若第1トンネル

増若(チュンヤク)第一隧道(ソウル側高坑口)をずっと見てみたいと思っていました。林権助による文字が彫られた額石のある、京釜線鉄道のトンネルです。大田(テジョン)〜増若間にはその昔、ソウル方面から九丁里(クジョンニ)、第1から第3まで合わせて4つのトンネルがつくられました。
日本政府は1898年にソウルと釜山をつなぐ京釜鉄道の敷設権を獲得し、トンネルは1901年8月に起工されたものの、資金難や資材の確保で工事はなかなか進んでいない状況でした。1903年12月に枢密院会議において速成方針が打ち出され、1904年内の完工を目指しました。鹿島組が3つのトンネルと芙江(プガン)〜新灘津(シンタンジン)区間、増若〜沃川(オクチョン)間の施工を担当しました。

大田に行くといつもお世話になってるeowjsさんの車で、大田市東区細川(セチョン)区の細川体育公園へと向かいました。

 


 

このトンネルはどこの何?よくわかりません、現在の京釜線の細川トンネル?説明を忘れてしまいましたが、時間が限られているのでまたの機会にということで遠くから見学。この時はもうみぞれが降っていて、肌寒かったのをよく覚えています。

 


 

細川体育公園の駐車場に車を停め、ずんずんと歩いて行くと焼肉パーティをしている一行に出会いました。みぞれは気にせず、楽しそうにマッコリを飲んでいました。食べていきなよ!と気さくに声をかけてくださいましたが、この先のトンネルを見てからまた来ますといい、再び歩きました。土が柔らかいのと落ち葉のせいで足を取られっぱなし!山道は広めで平らになっているところがあり、ここにかつて線路があったんだろうなと思わせるのに十分でした。

 

 


 

これかあ!土砂崩壊ですっかり塞がってしまった増若第一隧道。しかし、額石がある意味見やすくなっています。近くまで寄ることができますから。

落ち葉と土砂に足が沈んでいくような感覚の中で簡単に写真を撮りました。林権助。明治・大正期の外交官・男爵で1900年に駐韓公使として赴任、日露戦争中に日韓議定書の調印、そして第一次日韓協約・第二次日韓協約を結んで日韓併合への足がかりを作った人物として知られています。
南山の「男爵林権助君像」の台座を思い出します。現在は統監跡にできた公園内で逆さになって、国権が奪われた屈辱を忘れないというモニュメントになっています。

 


 


 

岩井尊人『林権助述 わが七十年を語る(1935)』の第44話「京釜鉄道が『嶽神驚奔』させる話」の一部より。
トンネルの額石には“嶽神驚奔”と刻まれています。地元の人たちは、トンネルのできる山には神がいるので工事に大反対していました。しかしトンネル工事が進められます。林は、山の神が鉄道工事に驚いて逃げ出したという意味で、額石にこのような語句を入れたのでした。京城駅舎の工事の時も、神木をある日突然切り倒してやったよ、おかしいでしょう、と不気味におどけています。

工事関係者は日本人韓国人合わせて6000人以上がいたそうで、日本人と韓国人の間でいざこざも多く、大きな暴行事件も発生。鉄道工事保護を目的に工事区間の主要地域に守備歩兵も配置されました。

興味深いのはトンネルのナンバリングです。今回この記事を書くにあたって鉄道に詳しい方々(ツイッターでお世話になっているせきさん、とても詳しいブログを運営されているソンサンジギさん ありがとうございました)に直接いろいろ聞いたのですが、半島の鉄道は内地(当時日本はこう呼ばれていました)を起点としているので、京城(ソウル、釜山から内地に向かうのは上り、その反対が下りになるのだそうです。初めて知りました。

よって、一定の区間に二つ以上のトンネルや橋梁などの構造物がある場合は、釜山から京城に向かって第1、2となり、増若トンネルもそのルールに従えば、額石のあるこのトンネルは第3トンネルとなります。けれどもこのトンネルは第1。これは、日露戦争のこともあって鉄道敷設を早くやれという速成工事で、永同(ヨンドン)を中心に北部と南部に分け、さらに10の工区に分けられたため。工事で南下、北上していくそのままの順序でナンバリングしていったからなのだそうです。
ちなみにこのあたりの岩盤はかなり強固で難工事だったと、前述の鹿島組のサイトに出てきます。

工事のために日本から渡って来た日本人、どういう形で工事に関わることになったのか気になる韓国人、彼らの衝突を止めるため集まった守備歩兵、山の神の祟りをおそれた地元の人々、工事関係者の身の回りの世話をした人々もいたでしょう。そして、そんな工事を国家の大事業として上のほうから眺めていた時の権力者たち。

ちなみに額石やレンガには、朝鮮戦争の傷が弾痕という形で残っています。

この年の初雪の日。山の上から遠くを見下ろしながら、こんなところ鉄道が走っていたのかという単純な感想しかその時には持てなかったのですが、ひとつの額石の向こう側にはいろいろなストーリーがあるのでした。今は落ち葉と土砂で封印されてしまっているかのように見えるけれども。
落ち葉に苦労し、手当たり次第つかめるものはつかめと迷惑をかけつつ山を降りると、酒盛りの人々がテンションを変えることなく楽しんでいる姿が見えました。
肉が雑に盛られた皿にはみぞれのトッピング、そこから肉を一片取り上げて、味噌をつけて口の中へ。
焚き火の暖かさがありがたかった、秋の終わりと冬の始まりの日の廃トンネル探訪でした。