昌原(馬山)・池河蓮の住んでいた家

慶尚南道(キョンサンナムド)の馬山(マサン)は、鎮海湾の奥の馬山湾に臨む港湾都市です。1899年に開港、2019年には開港120周年を迎え、その記念事業の準備が着々と進められているそうです。馬山市は2010年7月に昌原市に編入されて、現在は馬山合浦区と馬山会原区の二区となっています。

 


 

ここを訪れたのがちょうど一年前(2017年12月17日)、早いですね。馬山になかなか行く機会を作れなかったのですが、浦項からKTXに乗って馬山へ。冬の白い日差しの中で閑散とした日曜日の魚市場や、本町と呼ばれかつて栄えた通りなどを急ぎ足で歩き、そして目的の〝池河蓮(チ・ハリョン)の家〟に向かいました。

 

池河蓮(1912〜1960年)、本名は李現郁(イ・ヒョンウク)で小説家、『道程(1946年)』『従妹(1948年』などの短編小説八編残しています。詩人・文学評論家で朝鮮プロレタリア芸術同盟の書記長でもあった林和(イム・ファ、1908〜1958年)の妻として知られています。
二人とも1947年に北朝鮮に渡り、林和はスパイ容疑などで南朝鮮労働党系の粛清により死刑。池河蓮は夫の処刑を知り発狂して死んだそうですが、死因などは詳しくはわかっていないそうです。

 

山湖(サンホ)公園近く、見晴らしのよいちょっとした丘にある池河蓮の家。正確に言えば池河蓮の三番目の兄イ・サンジョの家です。林和の看病で結核にかかってしまった自分自身の療養のため池河蓮はこの家に一時的に住み、小説を執筆しました。兄は林和の友人でもあったそうです。

 


 

ちなみに池河蓮の住んでいた家のすぐ近くにある、上の写真の石垣のある家は、現在は盧氏の家と呼ばれています。日本統治時代の官庁か教育機関の官舎だったか、高官の私邸だったか、忘れてしまいました、すいません!

 


 

こちらが池河蓮の住んでいた家の入り口です。家は1930年代に建てられた文化住宅スタイル。

 


 

この家に住む87歳のおばあさんの火の不始末から火事となり、そのまま放置してあるとのこと。そして、家と土地の所有者が複数いるので文化遺産として残したいという団体や市とも話がうまく進んでいないそうです。

 


 

焼け跡がそのまま、そして老朽化も激しくかなりのお化け屋敷状態。大変危険です。インスタグラム映えする写真を撮るため若い方々が出入りしアップしていますが(自分も過去反省しつつ、羅州の工場とかそうでしたしね)不法侵入になるので、持ち主の許可がない限りいたずらに入るのはやめておきましょうね…

林和と池河蓮の二人はとても興味があります。松本清張の『北の詩人』も読みたいと思いつつそのまま。今回はさらっと家の紹介にとどめたいと思います。